2010年11月17日水曜日

五條楽園


ちくしょー、パンクしやがった。

2010年10月20日水曜日

リフレクター

ここんとこボクが山から離れていたのは、ペダルをエッグビーターに換えたから、ってことが少なからずあったはずだ。

前に付けていたSPDでなら、辛うじてトレランシューズで漕ぐことも出来なくはなかったのだが、エッグビーターでは、それすら辛かった。ビンディングシューズであっても、はめ損ねると、クルッと回り込み、脚を踏み外すような小さな小さなビンディングを、普通のスニーカーで漕ごうなどとは土台無理な話だったのだ。
もちろん、ビンディングシューズで登山する、なんてのは、ナンセンスな事でしかなく、仕方なくバイク用トレッキング用と、ふたつの靴を持ち歩かなければならない、なんて事は、より一層、馬鹿げた話でもあった。

それを解決すべく買った"リフレクター"というか、偶偶見付けたから付けてみたワケなのだが。
それは、見た目から予想できるように、踏み込む毎にしなるような柔らかさ、そして、グリップすることを目的にした造りでは全くないで、滑る滑る、といった漕ぎ心地である。
もちろん、アルとナシとでは大違いではあるので、この、あくまでも便宜上、用意されたような簡易なペダルを用いて、これからは山へと勤しもうかと思ったりもする。

2010年10月13日水曜日

太子ちゃんマジ天子

上之太子(磯長山叡福寺)、中之太子(青龍山野中寺)、下之太子(椋樹山大聖勝軍寺)。
それぞれ個別には幾度か参拝したことはあるのだが、通しとなると初めての事だった。
今回のポタリングでこのルートを選んだのは、ボクの家から120kmほどの道程で、未だ決まらないバイクのセッティングには丁度良いかなって感じだったからだ。本当は、暗がりヒルクライムリベンジといきたかったのだが、今の状態では無理そうなので止めておく。それは、ここでは未だ書いてはいないのだが、香川でのヒルクライムで膝を痛めた不安が頭を過ぎったからだった。
またもや時系列が無茶苦茶ではあるが、その時の経験を活かしての変更点は、と云えば、"サドルを数ミリ上げる"、"左足のクリートを数ミリ下げる"の二点である。一番大切そうな尿道への圧迫は、サドルを変えないことにはどないしようもない、と云った金銭的な問題故、今回は放っておくことにした。

下之太子
"椋樹山大聖勝軍寺と称し、高野山真言宗に属し、叡福寺(太子町)に対して、「下の太子」という。
聖徳太子は物部守屋を滅ぼすにあたり、四天王に祈願、その加護によりいくさにかったので、この寺を建てたという。
明治二十一年(一八八八)の台風で大堂(地蔵堂)が倒壊し、昭和四十六年復興が計画、旧太子殿の背後に新太子殿が建った。
本尊は如意輪観音(府重要文化財)で寺宝も多い。門前に守屋池、付近には鏑矢塚、弓代塚、市民病院前には物部守屋大連墳がある。

中之太子
"当寺の創立は蘇我大臣といい、また聖徳太子建立四十六院の一とも称するところから、叡福寺の「上の太子」将軍寺の「下の太子」に対し「中の太子」と俗称せられている。所在地の旧郷名が野中郷であってその地名による俗名を野中寺といい『日本霊異記』には野中堂と記している。また正倉院文書によれば当郷は百濟系渡来系氏族船史のちの船連の本貫であったから、その氏寺であったことが察せられる。
その創立年代は境内出土屋瓦から飛鳥時代にあることが考えられる。
境域には良く旧伽藍跡の土壇および礎石配列を止めるが、対向する東の金堂と西の塔婆とを中心とするもので、その伽藍配置は野中寺式とでも称すべき特色あるものである。なかんずく塔跡の刹柱礎石は刹柱の四柱座の周囲三方に添柱のそれをも彫り加えていて当市古市の西琳寺、法隆寺創建伽藍、橿原市橘寺等のそれに類例があり、ことにその舎利納置施設として柱穴側面に横穴を穿っているのが注目される点である。
なお創建当寺の軒丸瓦には弁上に忍冬文を配した特色あるものも含まれている。
当寺の現堂宇は享保年間以降、律僧恵猛により狭山藩主北条氏を檀越として再興されたもので、その僧堂は簡素な建物ではあるが、めずらしい遺構である。
なお、僧恵恵猛は現寝屋川市太秦の秦氏の出身であって『律苑僧宝伝』『日本高僧伝』等の伝記に載録されている高僧である。"

上之太子
"叡福寺は、推古天皇が聖徳太子のお墓を守るために建立され、のちに聖武天皇の勅願で七堂伽藍が完成されたと伝えられています。平安時代以後、聖徳太子信仰の霊場として栄えましたが、戦国時代末に織田信長の兵火にかかり焼失しました。江戸時代に豊臣秀頼によって聖霊殿が再建され、次第に整備がすすみました。毎年4月11日の太子のご命日に行われる会式は「太子まいり」と呼ばれ、多くの参詣者でにぎわいます。"

膝は痛まずサドルはOKっぽいのだが、足裏はまだ鈍く痛み出した。中敷を換えねばならないか?





2010年10月7日木曜日

明石海峡大橋


明石 浜の散歩道より明石海峡大橋を望む

2010年10月5日火曜日

ドンデン山ヒルクライム(梅津ルート)



距離:12.9km(上り:11.7km 下り:250m)
最大標高差:848m
平均斜度
上り:7.2%
下り:1.6%
Time:retire(2h 06min休憩、歩行含)

早朝。81号線へと曲がる交差点の手前。そこに掲げられた電光掲示板は、ドンデン山山頂より入川方面の全面通行止を告げていた。
今日の予定では梅津からドンデン山を越えて入川に入り、海岸線を辿って小木港まで走るつもりだったのだが、いきなりのつまずきだった。

81号線へ入り坂を登っていく。梅津の集落はちょっとした高台になっており、そこを抜けて下ると、のどかな田園風景が拡がっていた。
川沿いに続く道。その先には大佐渡山脈が悠然と横たわっている。あの辺りがドンデン山だろうか?あんなとこまで登らなければならないのか?そんなこと考えただけで気が滅入ってくる。大体、ヒルクライムなんてシンドイもんは、そんなことを真剣に考えながらやってはダメだ。あと何百mだから何分くらい登らなければならない、なんて考えながらやっていたら、根性無しのボクなんかは、やっぱやめとこ、なんてすぐに諦めてしまう。何も考えずに鼻歌を歌うくらいの軽い気持ちでないとやってらんない。実際、ひたすら山を登り続けているときには、なにかしらの歌のフレーズが延延と頭の中で繰り返されている。それは山下達郎の"ヘロン"だったり、COMPLEXの"恋をとめないで"だったりで、何でその歌が突然浮かんできたりするのかは謎でしかないのだが、一度それが浮かんでくると思考はそこで停止される。無我の境地に近づいているとでも云うのだろうか。修験僧が苦行を積んで悟りを開こうとするのに近しいものがあるのかも知れない。ちなみにこの時は、アルプスの少女ハイジの"おしえて"だった。

山腹に点在する採石所を越えると、山道は急激に幅を狭め、それと同時に10%を越えるほどの急坂となった。距離こそ短いのだが、心を折るには十分な長さだった。なにより2リッター入りのお茶が、ボクの脆い腰を破壊していった。
坂を登り切るとそこはアオネバ渓谷の登山口であった。MTBを降り、お茶を浴びるように飲んで重量を減らす。先に続く道は緩く、そこからは少しは楽になりそうな様相を呈していた。流れ落ちる汗を拭い、折れた心を繋ぎ、"おしえて"を歌いながら、再びバイクに跨った。

そこからの道は先程までに急な坂はない。標高410m、570m辺りにあるフラット区間で足を休ませながら順調に上り続けていった。
遠く望む金北山こそ真っ黒な雨雲に覆われてはいたが、日本海と加茂湖に挟まれ、細く拡がる両津の街の美しさが気持ちを癒していった。

このままなら、最後まで行けそうだな、なんて淡い期待はあっけなく裏切られることとなった。山頂が近づくに連れ、舗装はアスファルトから亀甲印のコンクリートへと変わっていったのだった。このコンクリート舗装がクセもんだった。それはダートを漕いで登るほどに脚を消耗させていった。そして、牧草地へと向かうヘアピンを越えて迎えた10%程の勾配。もはや、ダンシングをするだけの気力も脚も残ってはいなかった。
もう、止めても良いよな、ひとりごちる。もう、限界だった。クリートを外し右足を伸ばす。爪先が路面に触れる。しかし、膝には力が入らず、そのままバイクを抱え込みながら倒れてしまっていた。

ヒルクライムをするなら、入川ルートの方が遥かに楽である。距離が長い分、勾配も一定に緩く、山頂までコンクリート舗装もない。沢沿いを伝う道は涼しく、体力の消耗も少ないだろう。ただ、牛糞が有り得ないくらいに撒き散らされているので踏まないように注意しなければならない。あと、土砂崩れのため、2010年8月現在、全面通行止である。

------------- おもいがき -------------

フェリーではバイクを輪行袋に入れると手荷物になるので片道1,000円くらい安くなります。



2010年9月15日水曜日

友ヶ島

和歌山県和歌山市深山
距離:7.4km
(上り:3.6km 下り:3.3km)
最大標高差:111m
平均斜度
上り:7%
下り:7.5%
獲得標高:250m



三度目の正直で、ようやく友ヶ島へと渡ることが出来ました。
初めて渡ろうとした時は、友ヶ島汽船が火、水曜運休だということを知らずに渡れず終い。二度目は、GW中は自転車は乗せられません、と乗船拒否に遭ったのでした。
事前に調べてさえおけば、そんな目には遭わずに済みそうなのですが、いつも行き当たりばったりで予定を組みますので、こんな目にばかり遭ってしまいます。もちろん今回も、近くまで来たから渡ったろかな、くらいの気分でした。しかし、苦節三年の念願が適ったのですから、喜びはひとしおです。

今回の基本方針は、沖ノ島をバイクで一周すること。それから虎島へと渡り、観念窟、序品窟を巡ること。ただし、ビンディングシューズしか持ってきていないので、無理はしないこと。この三点です。これもまた、船を待つ間、パンフレットを眺めながら決定した予定です。
大人往復2,000円の運賃と20kg以下小荷物代800円を払い、船に乗り込みます。

テンキセイロウナレドナミタカシ。
ボクは船が苦手ですので、甲板に出たまま遠景に目を遣り、短い航海を過ごします。パンフレットに依ると、潮の加減に因っては虎島へ渡れない場合が有ります、とのことなので、特にその辺りを注視しながらの船旅です。なんとか、渡って行けそうだな、って感じの潮位でしたので、真っ先に虎島へ向かう計画に決定しました。

大阪で知り合ったコから、ヒールで行ったら、めっちゃしんどかったわ、って話を聞いていましたので、あまり整備された道ではないんやろな、とは思ってはいたのですが、予想以上でした。まんま山道でした。ちょっと、なめすぎていました。ボクはスリックを履いて行っていたので、急坂では空転したり、雨水によって刻み込まれた浸食にはまり込んで、吹っ飛ばされそうになりました。ここは、ブロックを履いていくべきでした。

深蛇池へ向かう道とかの枝道を除けば、MTBで走れる道ばかりなので、バイク乗りでしたらMTBを持って渡ることをオススメします。
ちなみに、現在、桟橋から第二砲台方面への道は土砂崩れにより通行禁止となっておりますので、沖ノ島一周は出来ません。あと、懐中電灯を持っていくと、色色と面白いと思うよ。

"友ヶ島砲台群
友ヶ島砲台群は「フランス式布陣の5箇所の砲台からなり、発電施設など明治20年代当時の多方面の最先端科学技術の粋を結集し、それを今に伝える貴重な文化財。弾丸、弾薬庫を含めた大半の施設は地下化されている。周辺の深山砲台,加太砲台(ともに明治30年代建造)とともに由良要塞を構成している。日清戦争以前の明治期日本の四砲台(東京・対馬・下関・由良)の一つであり大阪城、姫路城、五稜郭などと同じく専守防衛の施設である。」
「先人の偉大な発想・技術・努力」や綿々と続けられてきた維持、管理に敬意を表して、その意義やすばらしさを多くの人々に伝えることを目的として、友ヶ島にある5ヶ所の砲台が土木学会選奨土木遺産に認定されました。これは、2000以上の全国の近代土木遺産のリストのなかから、選奨して顕彰されたものです。"

"友ヶ島第3砲台跡
友ヶ島第3砲台は、島内の他の第1砲台・第2砲台・第4砲台・第5砲台・虎島砲台とともに、明治政府が紀淡海峡防備のため、由良地区(淡路島)、友ヶ島・加太・深山地区(和歌山市)に築造した由良要塞の一つの砲台です。

友ヶ島第3砲台の概要は、次のとおりです。
●着工(工事の開始) 明治23年(1890年)10月
●竣工(工事の完成) 明治25年(1892年) 5月
●備砲(大砲) 28センチ榴弾砲 8門 備え付けは明治28年(1895年)9月から始まり、明治29年(1896年)6月に完了。
●主(首)線 (大砲が向いている方向) SW(南西)35度
●射界 (射撃のできる範囲) 360度
●砲座 (大砲を据えて置く所) 4つの区画に各2砲座 計8砲座 (1砲座の直径3.5m)
●大きさ 横幅180m 奥行き60m"
参考サイト




2010年9月14日火曜日

カスタム

大分くたびれてきましたので、サドルとペダルを交換しました。

サドルは以前使っていたヤツが、股擦れするので、細身で堅めのモノを、と"SELLE SANMARCO"の"PONZA Power"
ペダルは見た目と泥詰まりナシ、の"Crank Brothers"の"egg beater c"を選びました。

"PONZA Power"は、ケツに張り付くような座り心地で、パワーロスが減り、快調な漕ぎ心地。ただ、会陰部への刺激強めで、長距離は辛くなってくるかもしれません。実は、同時に交換した"egg beater c"の感触が良くない、というか、セッティングが決まらない、というかで、あまり長距離乗っていないので、その辺りはなんとも分からないのであります。
"egg beater c"は、四面何処でもキャッチできる、というのも売りなのですが、明らかに填める個所により漕ぎ心地が変わります。気持ちよく漕げるのは、半数の二個所といったところでしょうか。他のところに填め込んでしまうと、遊びや異音によりガンガンいったれ、って感じにはなりません。また、ぬるっとした外し心地も気持ちよくなく、なんだかなぁ、って感じ。まぁ、慣れなのかもしれませんけど。
SPDなら、どんなアクシデントに於いても無意識のうちに外せたクリートが、このビンディングでは、とてもじゃないけど外せそうな気がしません。次回はまたSPDに戻すかもなぁ、ってな感じです。まだ、ダートは走ってないので何とも云えないっすけどね。サドルは200km以上走ってみて痺れるようなら、かっこ悪いけど、スケベ椅子にでもしてみましょかね。

2010年9月13日月曜日

琵琶湖サイクリング@摩耶山ヒルクライムクラブ



マキノまで輪行っす。カタカナの町とか看板が立っておりますが、今どき珍しくないっすね。南アルプス市とか、南セントレア市とか、ペンギン村とか、とかとか。

いきなり本日のメインイベント。その名もメタセコイヤ並木。延長2.4kmあるそうですが、途中から入りましたので500mくらいしか走ってないっす。残念!

滋賀は酒処っすね。吉田酒造さんに立ち寄ります。

熊地きくゑさんの鯖寿司弁当(750円)。焼鯖、ギャザリングウマス。ギャザリングってなんすか?

泳ぎます。気持ちよさそうに見えますが、意外と温いっす。キリッと冷たいんを期待していたんすけどね。

いつも通りの打ち上げっす。

2010年9月12日日曜日

吉野山ヒルクライム(脳天大神ルート)


r15登山口 - 脳天大神 - 林道南谷線 - r257 - 大日寺 - 金峯山寺 - 吉野神宮 - r15登山口
距離:12.5km
獲得標高:295m

r15登山口 - 脳天大神 区間
区間距離:3.5km
最大高低差:110m
Time:10'21"

道、間違えちゃいました。
最初の集落にあるT字路を、お山の方角は右だから右、っと曲がったら、違っていました。脳天大神さんに出ちゃいました。
脳天大神さんを参拝。お下がりのゆで卵でカロリー補給を済ませ、林道南谷線を上ります。ほぼ全線フラットダートなので、MTBでは何の問題もありませんでした。
次回こそは間違えずに、左、ですね。

2010年9月11日土曜日

琴弾公園

観音寺 - 琴弾八幡宮 - 七宝山持宝院本山寺 - 丸亀

最大高低差67m
走行距離 39.1km

結局、チューブは見付かりませんでした。
そこで、最終手段を試みます。修理セットと共に購入しておいた瞬間パンク修理剤(¥300)の出番です。それは蜘蛛の糸よりも細い最後の頼みの綱でした。
まずは説明書を読みます。基本です。もうこれ以上失敗はしたくありません。

"英式バルブ専用です"知っています。フレンチバルブアダプターを使って無理やり入れます。"約15秒間よく振ってください"念のため多めに振っておきます。"必ず下向きでご使用ください"もちろん従います。
ノズルの先端をアダプターに差込み、強く押し付けます。アダプターとバルブの接続部から真っ白な泡がモリモリ漏れてきやがります。角度を微調整しながらさらに強く押し付けますと、さほど漏れずにチューブが膨らみ始めました。圧の確認はできませんが、指で強く押しても凹まない位の硬さになっております。
"タイヤが膨らんだら200~300m走行してください"軽やかに走ります。空気の漏れも感じられません。とは言っても、あくまで応急処置ですので無理はしません。観音寺まで輪行し、電車に並行して走るように高松を目指しました。

当初は快調そのもの。パンクしていないって素晴らしい、と思いながら順調に距離を稼いでいましたが、丸亀まであと数キロという辺りでゴツゴツとした振動を感じ始めました。確かめてみますと明らかに抜けてきておりました。空気を入れようにもバルブ自体も塞がれてしまっているため、全く入りそうにもありませんでした。
結局のところ、高松行きは諦めざるを得ず、丸亀止まりとなりました。それでも40kmも走れたのですから応急処置としましては十分です。保険としてカバンに忍ばせておきたいと思います。

2010年8月4日水曜日

初めてのパンク

瀧雲山太山寺 - 松山市内

最大高低差 41m
走行距離 8.6km
歩行距離 27.1km

本日の予定では、海沿いのR378を抜け、佐多岬のワインディングロードR197で一汗かき、三崎からフェリーに乗る。それから佐賀関で関アジ関サバを堪能して、大分にてとり天を喰らうはずだった、のだが。。

ぶっすり、と、いっちゃいました。シュワルベマラソンはパンクするはずがない、と思っておりましたので、修理セットを持ってきておりませんでした。
場所は松山市街地を避けるために選んだr22。歩いて街まで戻れるというのは不幸中の幸い。
時刻は午前六時。修理セットを置いている店は、SHOP99かLAWSON SHOP100くらいしか開いていない時間というのは不幸中の不幸。
三津方面へ戻れば、コーナンが在ることは分かっておりましたが、開店まで少なくとも3時間は待たなければなりません。それならばいっそ、市街地へと向かい、LAWSON100を探した方が賢いのでは?幹線道路沿いを歩けば、ホームセンターや100均のひとつやふたつ、すぐに見つかるだろう、と思っておりました。
しかし、全く見つかりません。それらより先に、ネッカフェを見付けましたのでググります。松山市内には、SHOP99やLAWSON100は存在しないということが分かりました。萎えました。九州は諦めました。松山観光へと切り替えました。

ダイキの開店まで、松山情報を収集しながら時間を潰します。
そして、パンクの修理です。上手くいきませんでした。
こんなん、5分で終わるわ、楽勝楽勝、と思っていたのですが、甘かったのでした。
ボクは、559のホイールに無理矢理1.5inchのタイヤを履かせています。これは圧が掛かっている間は良いのですが、空気が抜けると勝手にビードが落ちてしまう、お手軽交換仕様なのです。その圧が下がった状態で何kmも押し歩いた所為なのかどうかは定かでは在りませんが、あちこちに小さな小さな穴が増えておりました。そして、その全てを見付けるのは不可能でした。要チューブ交換です。そこから悪夢の26inchフレンチバルブを探す旅が始まったのです。

------------- おもいがき -------------
松山市街地には、26inchフレンチバルブを置いている店は在りません。最近出来たスポーツデポが充実してますよ、と自転車屋さんで教えて貰いました。

鯛めしとは、東予、中予地方(松山、今治)の鯛と松山あげに代表される乾燥した揚げを炊き込んだものと、南予地方(宇和島)の鯛の刺身を載せ、出しをかけた鯛茶漬けなものの二種類があります。

2010年7月27日火曜日

今夜、星を観に行こう

尾道 - しまなみ海道 - 潮音山向上寺 - 大山祇神社 - 今治 - 瀧雲山太山寺

最大高低差79m
走行距離 159.9km

来島海峡大橋を越える頃、ボクの剥き出しの部分をあれほど暑くジリジリと焦がしていった太陽は、まだ焼き足りなかったんだゾ、とでも言いたげに西の空を赤黒く焼き上げていた。
夕焼けが明度を下げていくほどに浮かび上がる幾多の灯台の灯火が、そこに島があることを徐徐に示し始めていく。
既に日も落ち、もはや判別のつかなくなった島並みに、いつ果てるともなく続く橋架。そして眼下には羽を広げるかのように街の明かりが煌いていた。ボクはそれを眺めるうちに妙な浮遊感に囚われ"翼よ あれが今治の灯だ"なんて言葉を思い浮かべる。やがてその灯も、夜空に溶け込んだ山影に覆われ、やがてボクも現実へと螺旋を描きながら下りていった。

今治より南下する海沿いの道。その押し寄せる波頭を見遣ると懐かしいモノが目に映った。
北斗七星、その尻尾の先に輝くはアークトゥルス。ポラリスは?と探す。意識して北斗七星を観たのなど久しぶりだった。それは天文部だったとき以来かもしれなかった。
反対側に広がるは、デネブ、アルタイル、ベガ。そう、夏の大三角。少し離れたところで輝いているのは、金星だろうか?昔の記憶を辿る。
道沿いの街灯は明るく、月齢は上弦の月を廻ったところ。それに薄雲が掛かる夜空とはいえ、三等星くらいまでなら朧気ながらにも確認できた。これなら街の灯りが差し込まなければ、さぞかし素晴らしい星空が観られるのではないだろうか、と、暗がりを求め、瀧雲山太山寺へと向かう事に決めた。

虫の音だけが響く駐車場。そこにある灯りはと云えば、自販機のモノくらい。見上げれば満天の星空が拡がっていた。それは涙が出そうなほどの星空だった。
そう言えば、"今夜、星を観に行こう"なんて誘い文句を囁いたことなど、今まで一度もなかった。元天文部としての取って置きのカードを、今まで出し惜しみしてしまっていた。

あれがデネブ、アルタイル、ベガ。有名な夏の大三角。そこから横にすぅっと逸れて、あの辺りが蛇遣い座。だから、蛇座はあの辺りに並んでいる星になる。彼処の一際明るい星は、スピカ。だから、あの辺りは乙女座。あっちの蟹座は、とある漫画以来、とても虐げられた存在。。

今度、また、星空を探す旅に出なければならない。

------------- 晩酌 -------------
やきとりの酒300ml 山丹正宗¥440、八幡浜産あなごミリン干90g 中村水産¥250

------------- おもいがき -------------
イギス豆腐:いぎす草を煮溶かし生大豆の粉にエビを入れて冷やし固めたもの。今治近辺の郷土料理らしい。
ヤズ:今治辺りではツバスの事をヤズと呼ぶようです。



2010年7月26日月曜日

猪名川町大ツーリング大会@摩耶山ヒルクライムクラブ

距離:79.6km
獲得標高:601m


JR道場まで輪行します。

道の駅いながわにて昼食を摂ります。

アベちゃんが川に飛び込みます。いつも通りのバカっぷりです。

一庫公園にて休憩します。

多田神社にて蕎麦の出前を取ります。
アベちゃんが川で流されます。危うく人死にが出るところです。

武庫川サイクリングロードを下ります。

リンリン芦屋さんに寄って、いつも通りの打ち上げです。なんと呑みもん全品半額という幸運です。

〆はエーちゃんと汽笛亭さんへ。ナガイくんから誕生日祝いに日本酒を、マス姉から塩辛を戴いて午前4時までの深酒です。
誕生日だからといって、何ら変わらないそんなボクのいつも通りの日常でした。

2010年7月25日日曜日

妙法山阿弥陀寺

尾鷲 - 86.4km - 熊野那智大社 - 58.3km - 潮岬

走行距離 146.7km
最大高低差824m

熊野那智大社に向かう途中、膝に鈍い痛みを感じたので少し休むことにした。
熊野古道大門坂に自転車を駐め、そこからは歩いて登る。熊野那智大社、青岸渡寺と参拝した後、もう少し膝を休ませておこうと妙法山阿弥陀寺まで登ることにした。熊野那智大社、青岸渡寺の賑わい、それと阿弥陀寺へと向かう古道の静寂さは対照的だった。その人気のない苔むした石段をゆっくりと踏みしめながら上っていく。道端の丁を刻んだ石碑を数えながら残りの道程を想う。結構登った様な気がしても、まだ1/3程度と分かるとゾッとした。高度を重ねる毎に涼しさを増していく檜を揺する風の囁きだけがせめてもの救いだった。
石段に腰を下ろす。風が抜けていく。たちまち汗が引いていった。しかし、そんな休息の時間も長く取ることは出来やしない。すぐさま追い立てるように警戒蜂がやってくるからだ。それも一度や二度の話ではない。一息つこうとする度にそれはやってきたのだ。さすがは修験の山。ここでは少しの甘えも許されないらしい。ただひたすらに足を進め、精進せねばならなかった。
十幾丁数えただろうか、二筋に道が分かれている。緩い登りの道、1.3km。激しく下る階段、0.9km。当然ながら短い道を選ぶのだが、下るということは帰り道登るということ。その、面倒くさいなぁ、あまり下らんといてや、というボクの思いとは裏腹に下へ下へと向かって続いているのだった。

そしてようやく辿り着いた阿弥陀寺。そんな心の内を見透かされたかのような御詠歌。

"熊野路を ものうき旅と 思うなよ 死出の山路で 思いしらせん"

帰り道。
道先に何やら放物線を描く一筋の煌めきが見えた。それは、先程通り過ぎたときには存在していないものだった。それは、斜面を伝って這う輸水管の一部から漏れ出した飛沫であった。
その場所へと近付くにつれ、ある事実に気づいてしまった。あまりのことにさむいぼがたった。気温が数度下がった気がした。その飛沫が飛び散り、道を濡らし続けているその場所は、行きしにボクがにょうをにょーとした処に他ならなかったからだ。まるで、その汚れを洗い流しているかのようだった。全てを見られていたかのような気がした。
しばし呆然とそれを見詰めていた。これがお前のしたことだ、と見せつけるかのように、ボクが描いた放物線を模してそれはなぞっているかのようだった。時折、シュゴっと音を立て、吹き出しを止める。そして、一呼吸おくと、再び行きよいよく地面を叩き付けるのであった。
申し訳ありませんでした。思わず手を合わせていた。懺悔にも似た想いを胸に、足を踏み出す。再びシュゴっと音を立て、水は止んだ。次の瞬間、パンっと軽い音を立て、それは爆発したのだった。

まぁさすがに爆発したのは嘘だけど、水が噴き出していたのはガチで本当。
でも20分足らずの間にパイプが裂けていたって事だけは本当に本当。
ただそのすぐ傍で尿をしていたってことはマジで本当。
ボクがビビリまっくったってことも本当。
ボクは熊野権現を信仰しております。イヤマジでホント。

------------- 晩酌 -------------
黒牛 純米酒 180ml ¥忘れた
プレミアムモルツ¥225
鯖寿司 ¥580の半額
熊野産生本マグロ 中トロ ¥764の半額 マグロ食べ飽きました。

------------- 回想、もしくは教訓 -------------
時計回り最大の難所、尾鷲大泊間。傾斜こそ緩いのですが、ひたすら800m上り続けなければなりません。景色も単調なのでめげます。R311の方が遠回りですけど良いのかも?
膝を痛めた場合、早期の治療が大切です。フェルビナク、偉大です。これなくして、紀伊半島一周は無理だったと思います。
芝生のサイトでは、ヤブ蚊対策が重要。またしても忘れていました。

------------- 追加装備 -------------
AIR SALONPAS DX、100均銀シート

------------- 朱印 -------------
要望があればUPします。